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2017-07

終戦から70年の終戦記念日に思う - 2015.08.15 Sat



私は、高度成長期のイケイケドンドンの頃に生まれているので戦争は知りません。


今日は、70年後の終戦記念日ですね。


TVでは終戦記念番組が沢山組まれています。
まだ見ていないし、論調がどうであるのかは分かりませんが、
この日を忘れまいとする気持ちがまだあるってことで良かったと思っています。


昨日は、安倍首相により戦後70年談話が出されましたね。


中継もあったのでしょうが、私は夜に文面で全文を読みました。


全体的な感想として、私は「良かった」と思います。


普段から全面的に安倍さん推しではないし、彼や党のやることに色々思うところも無い訳ではないですが、普段のことや彼の政治姿勢と切り離してあの談話自体は、とてもよく出来ていたと思います。


文章はとても分かり易く、一言一句よく考え選び抜かれた文言でよくまとまっていたと思います。


意地悪な目線で追求しようとする人だか勢力だか外国以外には、割とスゥ~っと入ってくるというか違和感を持たずに入ってくる、そして敵も作らない丸くて国と世界と過去と未来を思う気持ちのこもった文章であったと思います。


文章は誰が作成したものかは分かりませんが、ことこの文章に限って言うならば、安倍さんの周りにはバランス感覚の良い、きっと頭の良い国語力のある側近たちがいるのだなぁと感じたところです。


外国の反応は、個人的にはどうでもいいです。


どうでもいいというか、外交上そんなに単純にどうでもいい訳ないとは思いますが、色々言われる必要はないというか、言うのは勝手だけど気にしたくないという思いです。


あの談話は、今現在生きている私たちに向けて発信されたものでありますが、日本ではお盆であって、ご先祖様が各家庭に戻ってきている昨日にあのような談話が出たことは、私としてはご先祖様の慰めになるし、今生きている私たちも未来に向かってより良い選択をして皆が幸せに生きていきたいと思える良い時期であったとも思います。


というか、終戦が期してか期せずしてかお盆であったことが良かったなぁ~と今更ながら思うのです。


終戦から年月が経っても日本にお盆がある限り、ご先祖様を思うとき、同時にきっとあの大戦のことを思い出して、未来を考える機会になると思うのです。

TV局には、将来も永続的に終戦記念日を忘れない取り組みをしてもらいたいものだと思います。
(論調は重要であるとは思いますが)



私の周囲では、戦争の苛烈な犠牲になった者は多くはありません(と思われます)。

たぶん苛烈ではないですが、それなりに辛く、戦争が無かったら、その後も健やかに生きていただろうと思う身内はいます。

今日は、将来も自分自身が忘れない為に戦争のことで周囲から聞いた身内のことを記録しておこうと思います。



母は大陸からの引き揚げ者です。
祖父と祖母(母にとっては両親)と共に幼い時に引き揚げて来たとのことです。
私にとって母方の叔母か叔父は、赤ちゃんだった引き上げの途中、朝起きたら冷たくなっていたそうです。
又、母の兄弟姉妹の長子から数名は、終戦の時には亡くなっていたと聞いているので戦争絡みで亡くなっているのかもしれません。
(これについては、聞いたか聞いていないか?覚えていません)


もう亡くなった母方の祖母からは(ちなみに私の両祖父母全てすでに他界してます)、引き揚げの際の壮絶な体験を子供の時に聞きました。

子供にとってあまりにも衝撃的過ぎて、地名や詳細こそ覚えていませんが(というか小さ過ぎて最初から理解できていなかったと思います)、今でも覚えていて私の中のどこか奥底に身内の一大歴史ドラマみたいに格納されています。

だけど私の母は、昭和17年生まれで引き上げの段階で、まだ3~4才くらいだったので、何を聞いても殆ど知らないんですよね。


祖母から聞いたお話は以下です。

母の家族は、たぶん現在でいう北朝鮮と中国の国境付近に住んでいたようです。
(これが不明確で正確な位置が分かりません)

祖父(母の父)は、徴兵されるには年を取っていたようで召集されていませんでした。

終戦後なのか?終戦前なのかに引き揚げる時には、朝鮮半島を縦断して半島の南端、釜山から日本行きの船に乗るという行程だったそうです。

が、途中に会うソ連軍が怖くて怖くて、子供には言えないことも沢山あったとその部分は教えてくれませんでした。
ですが、ソ連軍が来ると金目の物は全部持って行かれてしまうので、時計などあれこれとこうやって隠したんだと話してくれましたが、どうやって隠したか覚えていません。

グループというか日本人一行で引き揚げていたのは、ドラマなどでよく見かけますのでその通りなのだと思いますが、夜はみんなで重なり合うように寝ていたそうです。

確か(ソ連軍か他の勢力の)闇夜の急襲から少しでも身を守る為だったとか言っていたと思います。

とにかく38度線を超えることがまず一つの目標だったようです。

子供たちの衣服にはどこかに隠してお金を縫い付けて、もし逸れたら・・・と言い聞かせていたそうです。

だけど、引き揚げの途中で逸れたのは祖父(母の父)でした。何故だか途中で逸れてしまったそうです。

祖母(母の母)は、幼子を(たぶん)2~3人抱えて必死で南下したそうです。
日本人グループの中だから何とか行けたんでしょうね。

祖父母夫婦は、お互いに目的地は釜山と分かっていたので、それぞれで祖母は子等を抱え、釜山に向かったそうです。

びっくりするのですが、祖父母は釜山で再会出来たそうなんですよ。
(子供ながらに、恐らくすごい混乱だったろうに良く会えたな~という感想を持ちました)

それで、一家揃って日本行きの船に乗って日本の港にたどり着いたそうです。

この部分がうろ覚えなのですが、人で溢れかえって満員の船中では、外側に乗っていると外側から敵に?撃たれてしまうので、真ん中へ真ん中へ身体を入れ込んでいったそうです。

(なのですが、釜山から日本行きの船でそのような恐ろしいことがあったのか?と後で思い出す時に思うのです。確かに釜山から一番近くて大きな港だった下関には、沖に地雷?か何か危ないものがあったので、引き揚げ船は下関を避ける時期?があったと何かの資料でみたことはありますが・・・これは私の記憶が曖昧で、引き揚げの途中でどこかの川でも船で渡ると時にこのような状態であったという話が私の中で間違った記憶となっていた可能性がかなり高いです。)

これを聞いた時に、祖母に私は、「自分たちだけ中の方に行ってしまっては外側にいた人たちは可哀想。自分たちだけ良ければそれでいいの?」と聞きました。

すると祖母は、「皆んな生きるか死ぬかの瀬戸際を生きていた時なの。正直ね、そんなこと構っていられない状況だったの。」という説明をしてくれました。

日本人グループで皆んな一緒に行動してきていながら、怖いことだな~とこの時思ったことを思い出します。


又、釜山で引き揚げ船に乗る為の待機の日にちか時間の間に親と逸れてしまって一人ぼっちになってしまっていた小さな男の子を祖父が見つけたそうです。

祖父は連れて帰ろうと祖母に言ったそうですが、それは叶わなかったそうです。
恐らく祖父は、その時息子(母の兄弟)が居らず(たぶん亡くなってしまっていた)、そんな思いから連れて帰りたかったか?息子の面影かをその子に見てしまったんでしょうね。

ですが、祖母は女ですから現実的、ましてや祖父と離れてからは女手一つで子等を釜山まで連れて来た苦労もあってか、「自分の子等で精一杯、そこまでの余裕は無い」と断り、祖父は諦めその子をその場に置いて行ったそうです。

日本の港に帰って国内を移動し、実家までもうすぐの近くの浜まで帰って来た時に、祖父と祖母はようやく安心して二人で砂浜に腰を下ろして海をしばらく眺めたそうです。

子供心にこのシーンが目に見えるようだと思いながら、その安堵の気持ちを手に取るように共感し、このお話の最後として聞いたことを思い出します。


以上が、覚えている私の母方家族の引き揚げの話です。


もしも釜山でその男の子を連れて帰って来ていたら、今頃おじさんと呼んで身内として過ごしていたかしら?

もしも幼子だった母が、過酷な引き揚げの途中に亡くなってしまっていたら、私は生まれてなかったでしょう。

もしも祖母が大変過ぎて抱えた子等を連れて帰ることを諦めていたら、母は残留孤児になってしまってその後どうなっていたか分かりません。

その頃、中国残留孤児の肉親探しというのをよくやっていた時期だったので、祖母に「お母さんを置いて帰ろうと思わなかった?」と聞いたら、「可愛すぎて置いて帰ろうなんて思ったことは一度もない」と聞いて安堵したことを思い出します。



父は昭和15年生まれです。


私にとって父方の伯父、まだ十代であったと思いますが、戦争に行って南方で病気で亡くなったと聞いています。


幼かった父の覚えている記憶としては、数キロ先の市街地の空が空襲で赤く染まっている夜に防空壕の中に入っていたことくらいだそうです。

父から夏場に私がキュウリを丸かじりして美味しい!と言っているのを注意されたことがあります。

戦中か戦後に日本人ではない人が勝手に畑に入ってキュウリなどの農作物を盗んでその場でムシャムシャ食べていたことに嫌悪を感じていたことが今も尚、思い出されて嫌なんだそうです。


以上が、私の知っている身内の戦争の全てです。

皆さんのご家族にも同じような、又、全然違う戦争の記憶があることでしょう。



私の世代くらいまでは、こうやって実際に戦争を体験した人の話を聞く機会もあって、学校の授業でもしつこく平和主義を教えられていました。

今はどのようになっているかは知りませんが、今の若い世代の人たちは、どのような教育を受け、今日という日をどのように感じ、受け止めてているのか?


日本の将来を思うとき、発展し続けられなくてもたとえ国体が貧しくあっても、戦争だけはしないという選択の出来る私たちでありたいと思います。

ですが、こればかりは日本だけがそう思っていてもダメな訳で、世界の人が皆、戦争という手段を選ばない未来を迎えられることが願いです。



以上、今日は終戦の日を迎え、又、昨日の安倍首相の談話を聞き、書き留めておきたいと思ったことを書きました。


長々と・・・もしかしたら偉そうな・・・もしかしたら当たり前・・・身内の昔話なんて他人にとってはどうでも良いことを書き連ねてしまいました。

私は右でも左でもありませんし、政治的な主張でもないつもりです。

ご賛同いただくかどうかではなく、ちょっとこの記念日に自分の為にしたためておきたいことを書きました。

ブログをやっているだから、一つの意見としてこういったことを書くのも悪くなかろうと思って書いてみました。


皆様の未来が明るいものであることをお祈りしています。


最後まで長文をお読み下さり有難うございました^^



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● COMMENT ●

NoTitle

凄い話です。本当にこういった体験をした人たちの話は重みが違い、もっと若い人たちに知ってもらうのはいいことだと思います。 ぼくの周りには、戦争に関わった人たちがほとんどいなかったのですが、僕の小学校の頃は、テレビの番組や、道徳の時間など、いまよりもはるかに理不尽で悲惨な戦争を近く感じられる時代だったと思います。
ちょっと前に、自民の代議士が、反戦デモで戦争に行きたくない」と発言した学生に、「なんて利己的な人間」って言ってましたが、こんな代議士にこそ聞いてもらいたいお話だと思います。

bonzofire さんへ

どこのお家にもちょっと前の世代ではこういうお話が少なからずあるのかと思ってました。
bonzofire さんちにはあまり無いですか?それはとても良いと言っていいのか分かりませんが、ラッキーなことですね。

あったとしてもなかったとしても、私たちの時代、子供の頃はずいぶんしつこく戦争についての時間がありましたよね。
特に私は小学生の時、担任の先生が年配のかたばかりだったので、熱心に教えられたと思います。

今はどうなっているのかしら?もし政治家がトチ狂ってもどの世代の国民も間違わなければ少しは安心なんですけど・・・
世代によってあんまり分かっていない層があったら怖いなと思います。

長文を読んでコメントまで下さり、有り難うございました。

NoTitle

首相の談話は、私もよかったと思います
国内で引っ張り合いをする風潮だけは心配です

私の両親も戦争を生きた世代ですが、横浜も焼け野原でその光景は思い出したくないし、話したくないと言っています。二度とごめんだと言って口が重いのですが・・・・
引き揚げてきた身内はいないので、いろいろあったのだろうなとは思ってました
改めてEkaterinaさんのお話を伺って、少しでも多くの人に知ってほしいと思いました
戦争は二度と起こしてはいけない、やはり家族が離れ離れになったり、生きたかった命の重さを身に沁みます

NoTitle

これは、、、すごいお話ですね。
満州から引き揚げてきた、ってこういう事なのかな。

ただ海を眺めていた、というシーン、不思議なリアリティというか
臨場感がありますね。

戦争の話は、亡くなった祖母に何度か聞きましたが、もっともっと
聞いておけば良かった、と最近になって思ったりします。
父母は戦後生まれですし。

70年もたつと、大戦を経験している人の話を聞くことも難しくなって
きていますよね。
Ekaterinaさんのように、じかに聞いたお話をブログに書き残して
おくということにも大きな意味があると私は思います。

NoTitle

エカテリーナさん♡
コメントが前後してしまい、ごめんなさい。
私の母も同じような経験をしていたようです。考えさせられます。
ところで、無人島。竹で遊ぶなら、お茶杓作ってみて〜。これは、ハマりますよ(笑)

Yottittiさんへ

首相の支持率が談話の後に上がっているということなので、一定の評価を得たのではないでしょうかね。

戦時中は、国内にいても国外や満州から引き揚げてきても何らかみんな辛い目にあってますよね。
うちの家族の引き揚げ話は、まだ良かった方なのではないかと思っています。
もっと痛めつけられたり、抑留された人は沢山いたわけですから・・・

例えばこれだけの犠牲を払いながら、もし戦争に勝っていたならば、
失ってまで得られるものって国民にとっては何だったのでしょう?
きっと何も得ていないでしょうね。
もしそれで何か得られたとしても果たして人は喜べるかしら?と思います。

長い記事へのお目通しとコメントありがとうございました^^

さえさんへ

満州からの引き揚げは、みんなそれなりに大変な目にあっていそうですが、
うちの事例はまだ全然良い方だったのではなかと思います。
もっと捕らえられてその後も抑留されたり、傷付いた人は沢山いたらしいですものね。

帰国後、近くの海でようやく腰を下ろした時点で、ようやく祖父母の戦争は、
終わったのではないかと大人になってから思いました。
きっと海を眺めながら、壮絶な日々や辛い過去と今後の生活を切り分けて生きていくことを決めたと思うのです。

以前の首相で「もはや戦後ではない」と言った人がいますね。
私は、違うと思っています。
戦争を経験した人や戦争の影響を受けたと思える人が一人もいなくなるまで戦後だと思います。
(ま、この発言は、あくまで経済の面でということなのだと思いますが)

私ももっと祖父母から昔の話を聞いておけば良かったと思います。
今回は、知っていることだけでも自分でも月日が経つにつれて忘れてしまいそうな
家族の話として書き留めておこうと思いました。
人に見ていただかなくても全然いいのですが、もし見て何かを感じてくれる人がいたら・・
という思いもありました。

長い文章におつきあい、コメントありがとうございました^^

ボルフィさんへ

ボルフィさんちにも悲しい戦争体験がおありでしょう。
どこのお家にも一つや二つは戦争の悲しいお話ってあるのですよね。

もう竹で遊ぶことはないと思います^^;が・・・今度機会があれば、作ってみたいですね。
茶杓子ですね?^^


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